先週、ずっと考えていたこと。私は元々、自己肯定感が低いということに最近気づきました。
承認欲求が強いのだと思っていたけれど、それよりも、根底は自己肯定感が低いのだと。

だから、常に自分に自信がない。
「これでいいのだろうか」「これで大丈夫だろうか」
自分がすることに自信が持てない。

自分に自信がないので、自分で判断ができない。誰かから認められて、やっと自分を肯定できる。
「これで良かったんだ、大丈夫なんだ」と初めて自信が持てるようになる。
ずーっと、そうでした。その繰り返しで生きてきた気がします。

自己肯定感が低いと、まず、常に自分を誰かと比較してしまいます。私も、周りと比べて、「自分には、これが足りない」と常に思っていました。

例えば、仕事では、「周りは、こんなことが出来るようになっているのに、私には出来ていない」等の能力のこと。

彼氏がいない、結婚していない、子供がいない、等のリレーションシップのこと。人生のステージ毎に、自分が持っていないモノに意識を向けていました。だから、どこまでもキリがない。

そして、自己肯定感を低くする大きな原因。理想とする自分との比較。
理想の自分というのがあって、何か問題が起こったりすると、「自分はもっとできるはずだ」「こんなはずじゃない」と思っていました。現実が、自分の思っている理想と乖離しているから、さらに自分をショックに追い込んでいました。

私は、いまだに、仕事でのミスや、些細な事でも、「あんな言動してしまって、なんて愚かだったんだろう、幼稚だったんだろう」と、とっくに過ぎ去った事を、自分で掘り起こしては何度も反省したり、後悔することがあります。

理想とする自分(こうなっていたい自分)が、自分の思考の中心にドーンと鎮座していらっしゃるから、こんな対応ができたら良かったのにと、後から後から、いろんな感情がブワーっと出てくる。思い出して一人で発狂したくなる。恥ずかしくなる。いろんな感情が出てきて、首をブンブン振りたくなります。笑

あぁ、またまた、このパターン。自分で勝手に「周りにこう思われたかった」みたいな理想の枠を決めて、そこに到達できなかった私はダメダメだ、、、という思考癖になっているんですよね。
そう、勝手に自分で創り上げた理想に対して、一人でショックを受けているだけなんです。

そして、いまだに過去に囚われている。ずーっと執着している。

「今」を生きていない。意識は「過去」に囚われてしまっている。健康で「今」を存分に味わえる恵まれた環境にいるのに、なんてもったいないことをしていたんだろう。

そう、結局、全て自分が創り上げた理想の中で、思い通りにいかない故に苦しんでいただけなんです。その理想を、「エイッ!」って取っ払ってしまえば、あら、意外。「何でも無かったな~」「大したことでは無かったな~」ってなります。そのことに気づくだけで、シャボン玉がパチンと割れるように消えてなくなります。

理想とする言動はできなかった。失敗をしてしまった。
ただそれだけが事実。

たとえ、失敗してしまったとしても、それで人生が決まるわけでもない。
私という人間が、それだけで決まるわけでもない。

失敗は、そこにまだ改善点や学ぶことがあるから、失敗するだけ。そこに気づいただけで十分価値がある。気づいたら、また視点や方法を変えればいい。ただ、それだけのことなんですよね。

自分に意思があれば、そこには可能性しかありません。だからこの世には、失敗なんて、実はない。

ネガティブな方向を向くのか、ポジティブな方向を向くのか、自分が見る方向を切り替えるだけなんですね。意識を向けるところを変えるだけ。

ちなみに、私は20代~30代、理想とする男性を追い求めて婚活していましたが、私はそういう人と結婚しても幸せにはなれないと気づき、「理想とする男性」⇒「自分に合う男性」へと考えをシフトしたことで、結婚できました。

仕事については、自分に出来ないことを嘆くよりも、自分に出来ることに意識を向けることで、評価を得ることができました。例えば、「クライアントへのレスポンスを他の人よりも早くする」「後輩が気分良く仕事してもらえるような環境、雰囲気作りをする」など、本当に当たり前のことだけれど、普通の事を、他の人よりも「少し」意識をして仕事するだけでも、変わってきます。