ずっと書きたかった、私の妊娠話。
暗い話になりますので、興味ない方はスルーしてくださいませ。


どっぷりネガティブにハマり、暗いトンネルにいた時、ただひたすらしんどかったです。

赤ちゃんや子供を見るのが辛い、買い物に行っても、売っている子供服さえ見るのが辛い。赤ちゃんや子供に関連するものは全てNGでした。

日常生活においても、お母さんが子供と手を繋いで出かけている、そんな家族のありきたりな日常が、とても羨ましかったです。子供と一緒に歩いている、赤ちゃんを抱っこしている、ベビーカーを押している、子供服を選んでいる。そんなママの日常が、とても羨ましくて、だんだん卑屈になっていきました。年賀状の家族写真でさえ、嫌になる始末でした。

もう、私に見えている世界は、子供がいる世界か、子供がいない世界か、だけになっていました。

そして、赤ちゃんが欲しかったのに、来てくれない私は、欠陥している、という風に思うようになりました。

自分でもこのままではいけないって分かっているのに、這い上がるキッカケが掴めませんでした。

特にこういった流産というデリケートな話は、なかなか友人にも言えず、一人で抱え込みやすい。私の母もすでに亡くなっており、打ち明けられる人が当時はいませんでした。

どこにも言えない思いを抱え、分かってもらえる人がいなかったので、孤独を感じ辛かったです。今思えば、誰にも話せなくて、孤独だったことが、一番しんどかったです。

そして暗いトンネルから抜け出すキッカケが、ひょんな所から、ふと見つかり

自分を許してあげる

そこからは、ようやく流産という事実と悲しみを、少し客観的に捉えられるようになり、どこにも行く気力もなかった自分をなんとか奮い立たせて、久しぶりに大阪に帰省し、友人に打ち明け、聞いてもらうことで、だんだん重さが軽くなっていって、止まっていた時間がゆっくりと動き始めたように思います。

ようやくその苦しみから抜け出すと、子供がやっぱり欲しいと思えるようになり、
そこから不妊治療が始まりました。

タイミング法で妊娠できなかったので、医師の勧めで人工授精に段階を移しました。ここからがやはり長く感じ、夫婦間でもよく口論になりました。

女性は自分が不妊の原因と思って、自分を責めがちだけど、そんなことはない。男性にも原因がある場合もあります。しかも男性も、知識がないことから、不妊は女性側の原因とまず思っていて、軽く考えているところがあります。

私は生理不順になることもなく、特に問題が見当たらなかったようでしたが、やはり当時39歳という年齢は、卵子の老化という壁を考えないわけにはいきませんでした。

一方、旦那については、検査の結果、精子の量や、運動率があまり良くないことが分かりました。

それからというもの、「妊娠にいい食べ物やサプリ」をネットで調べまくり、情報に振り回されるようになります。本当にこれ、気をつけないといけません。

風水に凝ってみたり、神社仏閣にもたくさん行ったし、食べ物もカキに葉酸に亜鉛に色々、、、、

次の生理予定日になるまでが、長く感じられ、早く結果が分かる日が来てほしいという気持ちと、でも生理は来てほしくない。日にちは早く過ぎてほしい、、、。もうそれだけを気にして生きているような感じでした。

生理と分かり、お手洗いで何度泣き崩れた事か、、、そしてまた病院に行き、ダメでした、の報告をし、排卵のタイミングを見ながら通院の繰り返し。仕事の調整と、不妊のストレスで精神的に不安定になりました。

当時、旦那の仕事繋がりで、在宅で仕事を始めていたのですが、周りの方たちは皆ママさんで、今日は子供が熱を出したからお休みします、子供の幼稚園の行事がいついつで、幼稚園のお迎えで、、、なんていう子供ネタがチャットで流れてくるたびに、私だけがその話題に入れず、また自分が欠陥しているように感じていました。

ママさんたちは、こちらが流産とか不妊治療しているとか知る由もないけど、私一人が子供いないんだから、もう少し気を使ってくれてもいいのになぁとか自分勝手に考えてしまったり。友人からは、そろそろ子供かな?なんて言われたり。ちょっとしたことだけど、何気にボディブロー食らってる感じでした。

結婚して、こんなに子供についての会話がデリケートな話題だったと知りました。

「結婚したら、子供ができるのが当たり前、子供がいるのが当たり前」

こんな考え方が一般的になっているように思っていたし、その考え方に苦しんでいました。